3.11を振り返って・・・NFJストア開店から丸三年

※公開は11日深夜に行なっております。


皆様、こん○○は。Hでございます。

表題の通り、今月の7日でNFJストア開店から丸三年、四年目の春を迎えることが出来ました。ひとえに多くのユーザー様にご愛顧頂いたうえでの賜物かと思われます。常日頃から皆様への感謝の気持ちを忘れずに日々精進しているつもりではおりますが、この場を借りて改めて御礼申し上げます。いつも弊社をお引き立て下さり誠に有難うございます。

また本日はあの3.11、東日本大震災の発生から丸三年でもございます。私Hとしましては、3月を迎えるにあたって一番に思いつくのは東日本大震災でもございます。昨年一昨年とこの場を借りて私の思うところを述べさせて頂いておりましたが、本年も少しばかり述べさせて頂きたく思います。お時間のある方のみ、お付き合い下さいませ。


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さて、昨年一昨年「物事が風化すること」に対して自身を戒めるべく投稿させて頂いておりましたが、本年もその延長線上でお話したく思います。

まず弊社の所在地である大阪と東北地方というのは、物理的にも交通面でも隔たりがございます。その為、昔から当方地方への憧憬を抱きつつもなかなか実際に赴くというのは時間的にも、お恥ずかしい話、金銭的にもなかなか実現することが出来ませんでした。

ただ、あの東日本大震災が発生し色々と思うところもあり、何とかして自分の目で現状を確認したい、といった思いが募ってまいりました。ある種の啓発のような投稿をするからには、少なからず責任があると思うからです。

そんな中、ちょうど昨年の記事を作成していた頃に、たまたまこのような情報を目にしました。

 
ご存知の方もおられると思いますが、一昨年よりLCC(格安航空会社)のPEACH関西空港を母港として就航いたしました。弊社は大阪中南部に属することから関西空港は非常に便利がよく、またPEACHの搭乗券は価格的にも安定して安価な為、出張時などでも利用しておりました。ですから、関空~仙台便の就航は願ったり叶ったりでした。気がつけばチケットの予約を済ませていたほどです(汗



そんな経緯が有り、およそ1年前の4月21日、私はついに仙台の地に足をつけました。

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運命のいたずらか、4月にもかかわらず仙台は大雪でした(汗

そんな状態でしたから、レンタカー屋さんでタイヤの確認などをしつつ、吹雪の中での出発になりました。まさか、4月に雪道を運転することになるとは。。。波乱を感じさせる幕開けでした。なお、弊社定休日が日曜、祝日という関係上、4/21日曜の早朝便で出発、4/22月曜の朝便で戻るという強行軍のスケジュールです。


さて、今回の目的は今の東北地方、中でも仙台以北の宮城県の太平洋側を自分の目で見ることです。また今回の宮城県訪問は私一人でまいるつもりだったのですが、以前の記事で登場した葬儀屋さんに勤める友人に声をかけたところ、ぜひ同行したい!、とのことでしたので二人で行動することになりました。

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空港を出発し、進路を太平洋沿いに向けて進みだしてから10分も経たないくらいでしょうか、いわゆる防風林のようなものが見えてまいりました。それと同時に目を疑う光景が見えてまいりました。


まず以下のカーナビの画像をご覧下さい。
 
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。。。そして、目に映る光景はこんな状態でした。


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私にとっては初っ端から衝撃的な光景でした。正直な話、震災から既に丸二年が経っておりましたので、ある程度復興は進んでいるものとばかりに思っている節がございました。


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少し高台から臨んでもこのような状態でした。後で聞いた話ではこの付近は高速道路(仙台東部道路)から海側で特に被害の大きかった地域とのことでした。がれきの撤去はほぼ終わっているとのことでしたが、ただそれだけということなのでしょうか。。。


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早くも現実を見せ付けられ、若干打ちひしがれながらも、立ち止まるわけにはまいりません。進路を北に進み始めました。その後、高速道路を潜り抜けると一気に普通の町並みへと変貌いたしました。事実上の防波堤になっていたとは耳にしておりましたが、実際に目にすると極端に風景が異なっておりました。津波のすさまじさを改めて実感すると共に、日本の近代建築物の頑強さに関心致しました。



さて今回は限られた時間の中で出来るだけ北に向かうつもりでおりました。ただ、ちょうどその途中で日本三景の一つ「松島」を通ることもございましたので、軽めの休憩と昼食を兼ねて少し立ち寄ることに致しました。

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残念ながら当日は曇天続きでしたので絶景、とはいえないのかもしれませんが観光地的なムードは十分味わえました。後は午後に備えて栄養補給!ちょうど近くに焼き牡蠣を食べられるお店があったので、たらふく頂いてまいりました(笑

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お腹も満たされたところで早速移動です。石巻市あたりで高速道路を降り、下道で北上を続けます。山間の風景は近畿圏とさほど変わらず、時折山桜を目にしながら北上してまいりました。



それから小一時間ほどで、とある場所にたどり着くことができました。

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宮城県石巻市立大川小学校です。恐縮ながら、非常に胸の痛む場所でした。ただ、確かに地図上では海(河川)に近い場所だったのですが、現地に行った時はどちらかというと山のふもとで高台にいるように錯覚してしまうような場所でした。ですから、津波で建物がほぼ水没していたという痕跡は衝撃でした。


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そして、校舎の裏側に山があるのですが写真で見るよりもずっと急です。幼い子供たちに登らせるのは確かに戸惑うかもしれません。ただ結果的に助かったのはこの山を登った人達だそうです。はたして、私はこういった状況下に適切な判断が出来るのでしょうか。。。



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呆然としながらふらふらと歩いていると、設置されて間もないと思われるエンゼル像が目に入りました。ちょうど当時の一月ほど前に建立されていたようです。エンゼル像が校舎の方を向いているのが非常に印象的でした。



そろそろ夕暮れも近づいてまいりましたので、最後に黙祷をし、こちらを後にすることに致しました。まだ、北上しなければいけないからです。今回は出来るだけ北に向かうことが目的でした。せめて気仙沼まではたどり着きたい、という思いがあったからです。


その道中で見覚えのある建物が目に入りました。


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この写真でお気付きの方もおられるかと思われますが、南三陸町防災対策庁舎です。



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ちょうど遠めからの写真が海を背にした形だったのですが、この場所も海からそれなりに距離はございます。ただ、この場所の津波の高さは15.5mで建物の高さ12mよりも巨大だったそうです。こちらの写真に写っている部分は全て水の中であったと考えると、背筋が冷たくなる思いでした。


それから、北上を続けました。ただ先述の防災庁舎からの道は海岸線でしたので、復興中の場所もあれば大きく爪痕を残している場所もたたございました。中でも印象に残ったのが以下の写真です。


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そのころ、私たちは早朝からの強行軍で疲労溜まっていたことから不謹慎ながら目が慣れてしまっていたのでしょうか、ただただ震災の爪痕を呆然と見つめることしか出来なくなりつつありました。昨年とはいえ2013年です。あの震災から2年が経っていたこの現状はもう言葉に出来なくなりつつありました。

私は大阪で生まれ育ちましたので、被災こそ免れたものの阪神大震災を経験しております。中でも甚大な被害を受けたのは兵庫県の神戸市付近ですが、2年後には大部分の復興が終わっており、爪痕はかなり薄くなっておりました。その頃は、友人達とよく神戸に出向いておりましたので、正直この場所で大地震があったとはほとんど考えていなかったと思います。

ですから、2013年の宮城県太平洋岸の現状というのは、なんともやりきれない思いがありつつ、冒頭でも述べましたがある程度復興は進んでいるのではないかという浅はかな考えと自分の無知さが、ただただ恥ずかしく感じました。


それから、小一時間北上することでようやく気仙沼に到着いたしました。予想以上に距離がございましたので、日没までに到着するかが微妙でしたが何とか間に合いました。


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写真の通り、こちらは仮設の商店街「気仙沼復興商店街」です。閉店ギリギリの到着でしたが、色んな物を購入させて頂きました。また閉店前にもかかわらず、店員さんの暖かい接客が印象的でした。東北の方は親切と伺っておりましたが、本当にそう思います。


それから商店街を出た後は日も暮れ始めており、今回の宮城県訪問は一旦終了となりました。一気にきびすを返して仙台に戻り、翌日の朝の便で大阪にとんぼ返りです。

 


以上、簡単ではございますが昨年の宮城県訪問のご報告でした。スケジュールの関係上、少々疲れはしましたが非常に良い経験をさせて頂きました。また伝聞よりも自分の目で現状を確認することが大切であると再認識いたしました。


さて、今回の投稿で何が述べたいか簡単に申しあげますと、
「皆さんも東北へ行きましょう!」
ということです(笑

やはりテレビやウェブで目にすることと、現地で自分の目で見ることは全く違うことです。また目で見たものは、自分自身の記憶にしっかりと刻まれます。実際、今回の投稿にあたり写真を選別しながら当時のことを回想しましたが、一年近く前のこととは感じませんでした。

物事が風化してしまうことは完全な意味では避けられないことですが、それを防ぐ為に啓発することは大事かと思います。また、啓発する為の情報を自分で作ることにより、より物事を知ることが出来るのではないかと思われます。

東日本大震災から3年が経った今、私が訪問した昨年と良い意味で変わっていれば良いのですが、残念ながらいまだ傷跡は深いように思われます。
ですから、復興を促す為には今後は寄付などよりも出来るだけ東北地方を訪れ、現地で消費活動を行なうことが良いように私個人は考えます。

ですから、お時間や費用が大丈夫な方はぜひ東北地方へ行ってみて下さい。そして、自分の目で今の東北を確かめてみて下さい。きっと色々とえることができると思います。不謹慎な表現かもしれませんが、少なくとも私は宮城県に訪れることができて本当に良かったと思っております。

なお昨年はスケジュール等の関係で宮城県のみの訪問となりましたが、福島、岩手にも出来るだけ早いうちに訪れたいと思っております。いつになるかはわかりませんが、訪問時に震災の爪跡が少しでも小さくなっていれば、と思います。なお、関西人は東北に来るな~!っと思われる方もおられるかもしれませんが、静かに訪問しますのでお許しいただけると幸いです(汗


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というわけで今年は私Hの「2013年宮城県訪問」についてお話をさせて頂きました。今回も最後まで読み下さった方には深く御礼申し上げます。誠に有り難うございました。

なお、今回の記事に関しましては全て私H個人の記事として投稿させて頂いております。中にはご気分を害される方がおられるかもしれません。そういった方は若輩者の戯言と流して頂ければ幸いです。もちろん表記内容等に問題があるようでしたら、ご遠慮なくご指摘下さいませ。


それでは皆様、今後とも宜しくお願いします!