東日本大震災から一年・・・3.11を振り返って(その2)


こちらからお客様より頂戴したメールを転載させて頂きます。

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●3.11を振り返って

私本人と家族は津波の被害を免れまして、全員無事でした。
津波は自宅から9~10kmほどのところまで来ました。地震発生日は建物に閉じ
込められていたのと、その後しばらく電気も来ていなかったため、あの惨状は
1週間近く経って後のTVで見ました。

言葉がありません…いまだになんと言って良いか分かりません。
絶句とはこのことですね…。

住居や街も震度6強~7の揺れでダメージは受けましたし、度重なる余震や被災
生活は不安が非常に大きい物でしたが、それでも私は被災地ではまだ恵まれて
いる方でした。とにかく何もかも根こそぎ奪っていってしまった津波のこと、
連絡のつかない知人のことが心に占める割合が大きかったです。


津波から逃れた仙台市郊外ですら電気は5日、水道は10日、ガスは34日を
復旧に要しました。被災地全体の中では早い方です。
下水処理施設は完全復旧に3年かかるそうです。

物資不足が深刻で備えもあまり無かったため、21世紀の日本でありながら
「飢え死にするかも…」という恐怖を味わったのは予測していなかった体験でした。
それまでは過去の大地震の例にならい、2~3日もあれば救援の手が差し伸べ
られると思っていたからです。

米のご飯(おにぎり1個)が食べられたのは震災発生後12日目のことでした。
それまでは1日に煎餅を一枚ずつ、チョコレートを一かけずつ、水かジュースの
飲み残しを150cc…などそんな感じでした。避難所へ行っても毛布や食料等救援
物資は何日も届かず、自前持ち込みのみという状態でした(被災地内格差、避難所
間格差と言われたりするものですね。あるところにはあるのですが…被災地が
広範囲すぎて物流があの頃は本当に止まってました)。ガソリンがとにかく無く、
緊急車両以外の一般人は震災から1か月近くでやっとクルマを自由に使える
ようになりました。


事故が起こった原発に近い地域に住んでいた親戚は長期避難生活をすること
となり、いまだ疎開中です。友人・知人には津波で家や家族を失った人、
震災で職を失ったり、失意のあまり音信不通や行方不明になってしまった人等いて
…でも自分も被災者で大した助けも出来ず、無力さにうちひしがれて随分
落ち込みもしました。体調も崩したり…
※重い話で申し訳ありません。今はもう大丈夫です!

悩んでいても物事は動かず…生かされている人間は自分に出来ることから頑張る
のみでした…Hさまと同じ気持ちでした。被災地に住んでいると、被災地以外の
地方の人には極力普段通りに仕事や生活をしてもらって日本経済を
回していただきたい(!)というのがまず第一の望みでした。

日本国の東半分が麻痺していたわけですから(西日本でも物資関係は
相当の混乱だったと後で西日本在住の知人にうかがいまして驚きました)、
自分たちの心配と言うよりも、国全体がどうなるかの心配をしておりました。


●震災と私のLepai

ちょっと暗い話になってしまいましたが、そんな被災生活の中で電気が復旧し、
Lepaiの青色LEDの点灯を見ていると不思議と落ち着き、生きる勇気が出てくるの
でした。このLepaiアンプはHさまやKさまの努力と苦労の結晶でもあり、
このアンプを通して楽しい想い出をもらったこともあり、青い光も心に優しいの
でしょう…とにかく愛おしい光でした。

小型軽量なボディなので、震災時もグチャグチャの部屋の中でいち早く
音を聴く環境を再構築できました。重量級の機材たちは壊れてしまったり、
再度セットするのにしばらく月日がかかったり…。

あと特筆すべきは、節電が求められる中、消費電力が極小でしたので
使用電気量を気にすることなくラジオ等聴けました。トーンコント
ロールが付いているおかげで深夜は隣室に気を配ってバスを絞ったりと
いうことも出来たり…素晴らしいです!

入力セレクターでTV用アンプとしても使っておりましたので、大切な情報の
大半はLepai経由で得たようなものです(感謝)。

「まぶしい。抵抗を入れて明るさを落として…」
という意見もあるようですが、私は気にしません(笑)<個人的意見過ぎますが(笑)

> そんな状況で弊社製品がお役に立っていたとのこと、不謹慎かもしれませんが
> 正直とても嬉しかったです。
※弊社からのメールでの返信分の一部です

まったく不謹慎だなんてことはございません^^
私も嬉しかったですし、是非この嬉しい気持ちをお伝えして
一緒に喜べたら喜びの2乗でさらに嬉しいと思ったのです。
オーディオや音楽、オーディオを通してお知り合いになれた方々との交流は
結構非常時に元気を与えてくれるものだとこの度の出来事で知りました。
まるで手が繋がっているように感じます。


●震災の話の続き-震災への備え

…実は周りでは震災に関連する話はしにくい傾向があり、やりきれない思いを
しております。

もちろん、日常においては目の前の仕事なり生活なりを大切にして、後ろ
向きなことや不安を煽るようなことを話すべきではないと思うのですが、
まだ苦しみの中にある方も大勢いらっしゃいますし、「無かったこと」には
できません。やはり節目ふしめには思い出して、決して忘れることがないよう
にしたいものですし、新たな震災に対しては常に備えるべきと思っております。

被災地における被災の度合いや個々人の体験・認識は人によって随分
違いがあって、私の体験談はまた別の被災者から見たら「軽すぎる」
「重すぎる(大げさすぎる)」と違和感を抱く人がいらっしゃるかも知れません。
現実の一例として捉えていただけましたらと思います。たとえば津波の被害に
遭われた方はまた全く別次元の酷い被災の仕方ですし、反対に仙台市の中心部で
電気が2~3日で復旧し、備えも万全だったような家庭では、ほぼ大きな難なく
過ごされた方もいらっしゃったと思います。

※水や食料など口に入れる物関係は命をつなぐための最低条件で、たとえば他に
 トイレ問題や衛生問題、水無し・火無し生活のノウハウ、節水(排水カット含む)や
 節電のノウハウ、明かりや情報の得方、寒さへの対応法、子供やペットがいる
 場合…等々、情報量が結構膨大になってしまうのです。

今回のように広範な地域で激甚災害が起こった場合は救援の手がなかなか十分に
届かない地域が多く、そういう意味でより一層の自助努力、新しいサバイバル術
が必要だったと振り返ります。また地震前の家財の防振・固定等や、非常時の家族
との連絡方法の事前確認なども大切ですね。ATMやカードも使えなくなるので、
現金も一定額常に手元に置いた方が良いです。釣り銭も不足するので、100円玉を
中心に小銭も多めが良いです。(恥ずかしながら、交通機関と最寄り銀行が
再開するまで8千円弱で乗り切る羽目になりました(苦笑)。物価高騰時にです(笑))


震災後は「防災」には限界があることを知り、「減災」を意識するようになりました。

従来、備えは3日分あれば大丈夫と言われていましたが、半月分…万全を期す
ならば1か月分の家族を支える保存食・水・生活物資・燃料等があるとベターです。
一般家庭だと半月分でもなかなかに大変ですが…でも、3日分はあっと言う間に
払底しました。ですので、とにかく可能な範囲で多くですね。これくらい備えて
いれば、家屋を失わないかぎりは危機的状況には陥らず、比較的安心して
乗り切れると思います。

また、家屋から一時的に待避したり、あるいは家屋の放棄をしなければならない
場合も想定して、非常持ち出し袋の準備も大切と思います。自家用車や、
許される場合は職場のロッカーなどにも非常用物資・用品を分散すると
良いかも知れません。

下記のようなサイトで一度ご確認されると安心です。

『防災マニュアル 準備編 - 地震情報サイトJIS「防災マニュアル」』

『防災マニュアル 行動編 - 地震情報サイトJIS「防災マニュアル」』

※上記にプラスして「震災時のトイレ問題」「震災時の衛生問題」などと
 検索されることもおすすめです。実は非常に切実な問題でした…


少しでも万が一の時にお役に立てればと存じます。


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以上、とあるお客様からのメッセージでした。


こちらで私からの3.11の投稿は締めさせて頂きたいと思います。
全てお読み下さった方には心から御礼申し上げます。

弊社のようなブログではこういった投稿はある意味不思議かもしれませんが、
そんな形であってこそ誰かの記憶に留まることを切に祈っております。
またこういった形でも復興支援を啓発するきっかけになれればと思っております。
なお寄付やボランティアは弊社から特定の場所へは誘導致しません。
こういったきっかけで自分達が何を出来るか、いざ災害に直面した際に
どうすべきか、今一度再考頂ければ幸いです。

弊社一同、東北三県の復興を陰ながら応援しております。


2012年3月11日
代表 H