東日本大震災から一年・・・3.11を振り返って(その1)

皆さん、こん○○は。Hでございます。

今回の投稿は業務には全く関連がございません。
あくまでも個人的な思いの投稿でございます。
かなり長文となっておりますので、お時間のある方はご覧下さい。



本日2012年3月11日であの東日本大震災から丸一年が経ちました。
先日の投稿で触れましたが、NFJストアの開店日は3月7日で、
開店直後のなれない作業の中でしたから、あの日のことは
今でもよく覚えております。

昨年の今頃はバイヤーKも日本に帰国しており、二人でリニューアルの
作業などを行なっておりました。ちょうど3月11日は私は所用で
事務所とは違う場所におりました。用事も終わって事務所に戻る前に
実家に立ち寄った際、家族の者がテレビを真剣に見入っておりました
のでふと目をやりますと、とんでもなく大きな地震があったとの情報が
繰り返し報道されておりました。津波に対する警告も出ておりましたが、
大阪にいることもあり災害の実感も弱く、急いで事務所に戻りました。

事務所に戻り車を駐車場に止めた際、先ほどの地震が気になった為、
車載のテレビをつけたところ津波の一波が到達した光景が流れておりました。
目を疑うような状況に愕然としながら、事務所に入ったところ
Kもテレビでその状況を目にしていたようで、二人で恐怖を覚えました。
もちろんその日も通常の業務を行ないましたが、物流の混乱が予想された為、
その対応に追われました。

それからの一ヶ月はリニューアル後の業務の復旧ももちろんですが、
物流が混乱状態にあり、また東北地方への商品のお届けが困難な
状態にあり、日々変わる状況を常に気にしながら業務をしなければ
いけませんでした。また被災エリアに御住みのお客様には個別に
対応をさせて頂いており、最終的にお取引を終えられたのは4月の
末頃でした。ほとんどのお客様とは連絡が取れましたが、
一名の方だけはどうしても連絡が取れず、諦めざるを得ませんでした。
当時出来るだけのことはしましたが、今でも心残りでございます。

そんな中であるお客様から、リチウムイオン充電池のご注文を頂きました。
ただご住所を拝見させて頂いた所、被害の大変大きかった地域で
残念ながらお届けは出来ないだろうと思いながらお電話でお話を
伺ったところ、どうにかして欲しいとの依頼がございました。
色々と方法を調べる中で、そのお客様のご住所が自衛隊の基地で
あることに気が付きました。用途までは伺いませんでしたが、
これはどうにかしてお届けしなければと思い、八方手を尽くした
結果、郵便局の局留めで何とかお届けをすることが出来ました。
また後日無事にお受け取り頂いたことも確認が出来ました。
このことは何かのお力になれていれば幸いに思っております。

今から振り返ると業務にも大幅に影響が出ており、今とは
全く異なる気配りが必要だったのだなと実感致しました。


また震災直後は友人、知人で東北に業務に赴く者もおりました。
一名は消防士の方で阪神エリア合同で応援に一週間ほど行っておりました。
帰ってきてから写真の印刷をして欲しいとの依頼がありましたので、
弊社のプリンターで印刷をしながらお話を伺いました。
その方は瓦礫の中から生存者を探す作業をされていたようなのですが、
結局見つけることは出来なかったとのことでした。それでも、
応援とは言えども安全が確立できていない状況でも現地に向かわれる
消防士の方には畏敬の念を抱きました。現地に行かれる際は
ご家族の方も大変心配しておられましたが、その方は50代も
後半のベテランの消防士さんで、『若い奴に行かせるよりは俺が行くよ』と
つぶやいていた言葉は、今でも忘れておりません。


もう一名は友人で全国チェーンの葬儀屋さんです。
あまり葬儀屋さんが身近にいるという状況は無いと思いました
ので、当時は葬儀屋さんも尽力を尽くしていたという事実は
皆さんにも知っておいて頂きたいと思い、触れさせて頂きました。

その葬儀屋さんは会員制を採っていることもあり、
3月はとんでもない状況に陥ったようで、急遽全国の関連団体に
応援要請が入ったようです。その友人はまだ新人ということも
あり、力になれるのかわからず、少々躊躇しておりましたが、
少しでも力になるべく勇気を振り絞って現地に向かいました。
もちろん普通の乗用車ではなく旧型の寝台車(ミニバン型の霊柩車)
で、道路の復旧も未完成な所を20時間以上をかけて現地に入って
おります。到着後はひたすらご遺体を荼毘に付す為に斎場と
火葬場を日に何回も往復したとのことでした。残念ながら
立派なお葬式は出来るような状況ではなかったものの、出来る限りの
お弔いをするべく必死で走り回ったと、大阪に戻ってきてから
伺いました。普通の建物が被災している状態ですから斎場や
火葬場も同様に被災しており、被災を免れた斎場と火葬場は
遠い場合で100キロ以上も離れており、道も荒れている状況で
大変苦労したと申しておりました。彼は2週間ほどで戻って
参りましたが、出発前と戻ってきた後では人として何回りも
大きくなって帰ってきたように思いました。


少々長くなりましたが震災について思うこと、覚えていることは
たくさんございます。私が今回こういった投稿をさせて頂いたのは
先述の通り個人的な思いではございますが、弊社のブログのような
公共の場に公開することにより、少しでも当時の記憶をたくさんの
方に少しでも覚えておいて頂きたいという思いで投稿しました。

「人は二度死ぬ」と申します。一度目は生物的に死んだ時、二度目は
人の記憶から忘れ去られた時と申します。今回のような震災は
忘れるような方はおられないと思うかもしれません。ただ人間は
どうしても少しずつ記憶は薄くなっていく生き物です。事実、
私自身、被害こそ免れましたが阪神大震災を経験しており、
十数年経ってしまうと少なからず風化してしまっていると感じております。
前向きに生きるという意味では風化は仕方が無いのかもしれませんが、
自分自身でなくとも過去の事例はいざ自分が災害に見舞われた際に
自分たちの身を守ってくれると常々考えております。
ですから自分自身のためでもありますが、少しでも誰かの記憶に
残せるような思いで筆を執ったしだいでございます。



実は今回の投稿は私の個人的な思いもございますが、先日頂戴した
あるメールにも起因します。数ヶ月前にヤフオクのお取り引きの
業務を行なっていたところ、少し目を引くお名前とコメントが
ございました。よくよく拝見させて頂くと、LepaiのLP-2020A+
デジタルアンプの最初期の頃にお取引させて頂いたお客様でした。
その頃は弊社でも暗中模索の状態で、品質管理も思うように出来ず、
その後の製品改良をつかさどる上で大変ご協力を下さったお客様
でしたのでよく覚えておりました。その方は東北三県にお住まいで
したので、安否を案じていたもののこちらからご連絡差し上げるのも
気をはばかられておりましたので、とても安心致しました。

その後、何回かメールでお話をさせて頂いた際に、被災された頃の
お話をお伺い致しました。やはり実際に被災された方の生の
お言葉ということもあり、当時の惨憺たる状況が直に伝わりました。
またそんな状況の中で弊社の製品が、ある意味特殊な形で大変お役に
立てたとのコメントを頂戴し、不謹慎ながらも甚く感激致しました。
また今後の大災害への備えなどの指南などもあり、こんな貴重な
情報を私の心の中にだけ収めるのはとてももったいなく思いましたので、
先述の私の思いと一緒に掲載させて頂くご本人様に許可を頂戴し、
今回掲載させて頂く運びとなりました。
正直な話、私の戯言よりも記憶に残るメッセージかと思います。