3.11とNFJ・・・NFJストア開店四周年

※諸事情により公開は3/13深夜となっております。


皆様、こん○○は。Hでございます。

表題の通り、今月3月7日を持ちましてNFJストア@ヤフオク店は四周年を迎えました。年末年始のご挨拶の折にも触れましたが、皆様に支えられて五回目の春を迎えることができ、本当に嬉しく思っております。あわせて先日の2月21日よりNFJストア@ヤフーショッピング店もオープンの運びとなり、今年の春は喜びもひとしおでございます。皆様のご愛顧に深く、深く御礼申し上げます。誠に有り難うございます。

また、おかげさまで徐々にではございますが弊社の規模も大きくなっており、本当に様々な方よりご愛顧賜っております。しかしながら、日々の業務に忙殺されており、ご声援のメールを頂戴した際などに以前と比べると中々皆様とのコミュニケーションが取れないことが悲しくも思っております。ただ皆様のご厚意に甘えてばかりはいられませんので、新しいサービスや製品のご提案など、より皆様に楽しんでいただけるようスタッフ一同精進してまいります。

以上簡単ではございますが、この場を借りてNFJストア@ヤフオク店四周年の御礼とご挨拶に代えさせて頂きます。今後ともご支援、ご鞭撻を賜りますよう心からお願い申し上げます。


※ ※ ※


さて長年弊社にお付き合い下さっている方はご存知かと思いますが、弊社NFJストアの開店日は「3月7日」と奇しくも東日本大震災の発生した3月11日の四日前のことでした。ですから、私は毎年この時期が来ると震災のことを振り返っております。恐縮ながら今年もこの場を借りて少しばかりお話をさせて頂きます。お時間のある方は、ご覧下さいませ。

※過去の記事はこちらです:2012年2013年2014年

まず、あの震災から四年が経過したわけですが未だ爪あとが深いことはご周知の事実かと思われます。弊社におきましても、出荷業務の折にふとお届け先をみると「仮設住宅」「復興住宅」となっていることがしばしばございまして、被災者の皆様のご苦労を思い浮かべるとやるせない気持ちになってしまいます。

そんな中、ごく最近も震災で所蔵されていたオーディオ機器を家屋ごと津波で流された、といった一文をとあるユーザー様より頂戴致しました。けれども、その方のメッセージには弊社製品で新たに一からシステムを構築され、楽しんで下さっているご様子が垣間みられ、なおかつ我々へのご声援のお言葉まで下さっておられました。

またつい先日の企画においては、弊社アンプのサイズと性能を気に入って下さった方が、同製品を使用したシステムを仮設住宅に住んでおられるご親戚にプレゼントされる、という嬉しいお言葉も頂戴しております。間接的かもしれませんが弊社製品で東北地域の方々のお役に立てているのは有難き光栄に思いますし、私自身も力づけられました。本当に嬉しい限りでございます。


なお前回宮城に訪れてから、再び宮城の地を踏みたい、という思いを心の奥底に常に抱いておりました。2013年4月21日に見た光景は私の中ではもはや忘れがたい光景でしたし、この世に生を受けている限りはその後を見守っていきたい、そんな心持ちで日々を過ごしておりました。

そして1年と8ヶ月ほどが過ぎた2015年2月8日、久方ぶりに宮城の地を踏むことができました。今回も1日だけで、しかも単身一人での強行軍ですが、あの場所はどうなったか、忘れられない場所を確認しにまいりました。

そんな、どうしても訪れたかった場所がこちらです。


宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区にある元公園の小さな山です。ちなみに車なら仙台空港から15分、仙台市内から30分程度で訪れることができるような場所です。前回訪れた際に海沿いに車を走らせた際にたまたまたどり着いた場所だったのですが、その光景はただただ衝撃的でした。

なぜなら2011年3月11日に襲った津波はこの山を丸ごと飲み込む規模だったわけです。日和山小さい山と言えども一般的な二階建て家屋の高さと同じくらいはございます。津波はその頂上から更に2m以上の高さまで押し寄せたそうです。その被害は甚大で閖上地区だけでおよそ800名もの尊い命が失われたとのことでした。

昨年の記事で触れていた場所がこちらだったのですが、震災から丸二年が経過した当時でも厳しい光景が広がっておりました。それから、さらに二年近くが経ち、今はどうなっているのか、そういった心持ちでこの場所に再訪しました。

それではどう変わったか、具体的には比較写真をご用意しましたのでご覧下さい。


イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 6
日和山から周囲を見渡したパノラマ写真(15/2/8撮影)


正直な話、恥ずかしながら少々呆然としてしまいました。道路や住居跡の整備はかなり進んでおりましたが様々な要因でこのような状況にあるようです。想像以上に震災の爪痕が深いことを実感させられました。また写真ではすこしわかりづらいですが、隣に名取市の東日本大震災慰霊碑が建立されております。僭越ながら私もご冥福を祈らせて頂きました。なお元々このような比較写真を作ろうとは思っていなかったのですが、撮影した写真を見直すと近い角度で撮影した写真がいくつかございましたので作成させて頂いております。

ただ写真では伝えられませんが、行き交う車の数は以前と比べて多く、こちらの日和山を訪れる方もたくさんおられました。とくにこちらの閖上地区は元来は漁業で有名な地域でもございます。もちろん、あの震災で甚大な被害があったことはいうまでもございません。恐縮ながら前回訪れた際は漁港の雰囲気を感じることはできませんでした。ただ漁業関係者の皆様方が尽力されたことにより閖上港の復旧は急ピッチで進められていたようです。ちょうど日和山付近を散策しているうちに気がつけばお昼近くになっておりましたから、そのまま近くの閖上でお昼ご飯をいただくことに致しました

閖上港は日和山山頂からも臨めるくらい近所ですから、車の移動が面倒に思うほどすぐに到着です。今回は閖上港に併設されたゆりあげ港朝市」にお邪魔することに致しました。到着したのは既にお昼を回っており閉店間際のはずだったのですが、それにもかかわらず大盛況でした。まさに活気のある朝市!といった感じです。

さて閖上といえば赤貝が非常に有名で高級寿司店でも絶賛されている食材でございます。ただ赤貝漁についても震災の影響が大きく、漁師の皆様は大変苦労されたようでした。現在は赤貝漁も再開されており、閖上港で頂くことが出来るとのことでしたので赤貝の入った海鮮丼を昼食として頂くことに致しました。

イメージ 5


閖上の赤貝のうわさは聞いていたものの食すのは初めてだったのですが、食感がよく磯の香りと甘みが絶妙なバランスで実においしかったです。その後も少し散策していると、冬場にしか食べられない「せり鍋」の屋台を発見しました。食いしん坊バンザイよろしく、せり鍋にも思わず飛びつきました(汗 せりの根っこまで入っているのには少々驚きましたが、せり自体の独特の苦味と出汁の上品さが相まって滋味深い味わいが思う存分堪能できる逸品でした。昨年の牡蠣もそうですが、今回の頂いた食べ物はどれもおいしく、大阪では食べられない物ばかりでした。


おなかも満たされたところで再び行動再開です。実は今回こそ気仙沼にじっくりと赴きたかったのですが、前回訪れた大川小学校に再訪いたしました。寄寓にも今回訪れた日も前回と同じく大川小学校に近づくにつれ雲行きが怪しくなり、到着した頃には本降りとなってきておりました。

イメージ 7
※正門が祭壇に移設されておりました。

ご周知の通り大川小学校を含め震災で甚大な被害を受けた地域には再建が難しい建物が数多く残されており、後世に遺構として保存するか、遺族感情を慮って解体するか、といった議論が今もなされております。こちらの大川小学校においてもとても複雑な状況です。ちょうど私が訪問した際、ふとしたことがきっかけで近所にお住まいのご老公とお話をさせていただくことがありました。その方はほぼ毎日のように手を合わせに来られているようで、大川小学校の今後については憂いておられました。

私自身、保存が良いのか、解体が良いのか、自分の中ですら答えは出せません。そういった複雑な感情が再び大川小学校に訪れることになったきっかけでもございます。次にいつ来れるかはわかりませんが、きっとまた来ると思います。そういったことを思いつつ、大川小学校を後にし帰路に着きました。


以上が今回の宮城訪問の概要です。今回の再訪にあたり東北太平洋沿岸エリアでも前回と異なる場所に訪れるか、前回と同じ場所に行くか、本当に直前まで葛藤しておりました。結果的に後者を選択したわけですが、今回の再訪を終えて間違ってはいなかったと思います。改めて色々と考えさせられましたが、遠方の大阪くでは感じられない空気を実感することが出来ました。

なお昨年も申し上げましたが、お時間のある方は是非ご自身の足で東北地方に出向いてみて下さい。たくさんのひとが訪れることが復興支援の一役を担っていると思います。また今の東北地方では多くの勇気と元気を感じることが出来ると思います。私自身、今回の再訪で数え切れないくらい元気をもらいました。大げさに思われるかもしれませんが、騙されたつもりで構いませんので赴いてみて下さい。


最後に今回の宮城再訪を振り返って、昨年までは「物事の風化」を懸念しておりましたが、そういった心配よりも、これからも東北地方を見守っていくこと、を心に留めておくことのほうが重要ではないか、と考えるようになりました。僭越ながら短期的な希望的観測ではなく、中、長期的に応援して行ければと思っております。大阪のちっぽけな会社の一経営者の戯言ではございますが、東北地方の復興を心から祈っております。もちろん東北地方のみならず、皆様に「元気を届けられる製品作り」を目指してスタッフ一同引き続き精進してまいります。


※ ※ ※


以上、今年も私Hの独り言にお付き合い下さり本当に有り難うございました。まだまだ若輩者ではございますが、諸先輩方に負けないよう頑張ってまいりますので、これからもご指導、ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。また次回更新時には何か新しいニュースがお届けできれば、、、と思っておりますので、NFJの今後の展開にもご期待下さいませ!


それでは皆様、これからも宜しくお願いします!



2015年3月11日

代表 H